history ブリッジ・フォー・ピースの足跡

ブリッジ・フォー・ピースの歩みは、
一つひとつの出会いと対話から始まりました。
戦争の記憶と向き合い、心をつなぐために。
ここでは、BFPが歩んできた軌跡と、未来へ紡ごうとしてきた想いをたどります。

chapter 1バーバラさんとの出会い

バーバラさんとの出会い

「何で来たんだい!日本人なんて見たくなかった…」
この衝撃の一言から、ブリッジ・フォー・ピースが始まったと言っても過言ではありません。

2000年、当時大学生だった神直子は恩師・雨宮剛先生が企画するスタディツアーで、初めてフィリピンを訪れました。ツアーの目的はふたつ。第三世界の現状を知るということと、過去の戦争を知ること。

約3週間の滞在中、地元住民宅でホームステイしながら、各所で戦争体験者の話を聞きました。

この日、集会所には日本から来た大学生と交流をするという目的で、60名ほどのフィリピン人の方々が集まっていました。最初こそ和やかに会が始まりましたが、終盤に差し掛かった頃、バーバラさんという女性がすくっと立ち上がり、 涙ながらに悲痛な想いを訴えてこられたのです。

「私は1942年に結婚して、1943年に子供が1人生まれました。
1944年に私の夫は日本兵に連行されました。
夫が連行されてから50年経ちますが、未だ遺体は見つかっていませんし、何があったのかも分かりません。だから、日本人と会ってしまうので、ここには来たくありませんでした。その日本人に夫は殺されたのです!」

この場にいた神たち大学生は、想像もしていなかったこの状況に言葉が出ません。なんと言葉を返して差し上げたらいいのか、謝罪をしたらいいのか…答えの出ない時間が過ぎていきます。

この出会いが、ブリッジ・フォー・ピースの活動を始める原動力になりました。

chapter 2悔いを残し他界した元日本兵

悔いを残し他界した元日本兵

その後、社会人になっていた神は2003年、新潟県小千谷市の極楽寺というお寺に足を運ぶ機会がありました。そこで神はご住職さまから、とある話を聞きます。

「戦時中の行為を悔やみながら 他界した元日本兵がいたんですよ。」

そこで神は初めて気づきます。
被害者だけでなく、加害者として苦しみ続けた人もいるということを…。
戦争は、被害者と加害者の両方に深い傷を残していたことを…。

そして、ひとつの想いが芽生えます。

今もなお怒り渦巻くフィリピン。
しかし、
「元日本兵の人たちもずっと苦しかった」
そのことを伝えることで、被害を受けたフィリピンの方たちの心にも変化が生まれるのではないか…。当時のことを悔やむ元日本兵の想いを『ビデオメッセージ』として届けたい!!

事実を知ってしまった以上、居ても立っても居られない衝動が神を突き動かしたのです。

chapter 3人脈ゼロからの証言収集

人脈ゼロからの証言収集

そうは言っても、何もツテもないところからのスタート。

2004年当時は拡散力のあるSNSはありません。インターネットの掲示板に「戦場体験者の方をご紹介していただけませんでしょうか?」とひたすら書き込みをし、少しずつご紹介の返信が返ってくるようになりました。

いざご本人やご家族に連絡を取ってみると、「戦後世代には話しても分からない」と断られたことも、「家族以外には話せない」と電話をガチャっと切られたことも、「父は静かに余生を過ごしている。寝た子を起こすようなことをしないで。」と親を案じる娘さんから取材の承諾を得られないことも。

考えてみれば無理もありません。赤の他人に突然「戦争体験を聞かせてください」と言われても、不審に思われるのは当然ですし、神自身も「こんなことをして一体何になるんだろう?」と半信半疑の気持ちをぬぐえずにいました。

それでも、お手紙を書いたり、根気強くお電話をしたりする中で、ひとつひとつ取材の承諾を得ていきました。取材依頼に最初はお断りの返事をされた方も、取材当日は身なりを整えた姿で出迎えてくれたり、取材の参考に…と関連資料を居間のテーブルにたくさん準備しておいてくださったり…。

そして、取材を終えたとき、「話を聞いてもらってすっきりした。」「神さんに問いただされなければ、戦争の話はもうしゃべらないもんだと思っていた。」と言って涙ぐむ人も…。

戦争は体験した人々の心に傷を残し、戦後数十年経ってもその傷は癒えていないことを痛感する一方で、取材の中で心の内を少しでも出していただくことによって、彼ら彼女らの心の傷を和らげることになれば…との想いもあって話を聴き続けました。

chapter 4元日本兵の声をフィリピンへ

元日本兵の声をフィリピンへ

このような方たちの証言をまとめて、 フィリピンでの上映会が実現したのが 2005年のことです。

「このビデオを観せたら、どんな言葉が返ってくるんだろう…」という不安もありました。しかし、上映会が始まると、皆さん食い入るように観てくださったのです。上映が終わったとき、ある方がこうおっしゃってくれました。

「元日本兵が戦後何を思って過ごしてきたかなんて想像すらしていなかった。毎年でもこの映像を持ってきてほしい。」そしてまたある方は、「自分たちの苦労ばかりが記憶に残っていったけれど、自分たちの村で一人のたれ死んでいた元日本兵がいた。

あの日本人の哀れな姿を、戦後初めて思い出した。」と吐露してくださったのです。フィリピンの方々の心に変化が現れるのを感じました。

それからほぼ毎年フィリピンを訪れ、ビデオを上映する活動を継続しています。ときにはマニラの大学で、ときには地元役場の一室をお借りして、電気の通っていない小さな村では小さなハンディカムの画面越しに、できるだけフィリピン各所でビデオを観ていただく機会を作ってきました。

そして、このフィリピンでの上映会の様子を記録し、今度はそれを元日本への方々に観てもらう。このようなフィリピンと日本でのビデオメッセージの交換が、ブリッジ・フォー・ピースの礎にあります。

chapter 5広がる共感と支援の輪

広がる共感と支援の輪

当初はフィリピンで上映することを目的に始めた活動でしたが、徐々に日本国内でも「そのような映像があるなら、ぜひ見たい」
そう学校関係者などからお声がけ頂くようになりました。

日本国内で上映を始めると、若い世代のみならず、戦争世代の子ども世代であっても、あの戦争のことを知らなかったり、知らされていないのだと感じるようになりました。「多世代で過去の戦争のことを考える」というスタンスが自然に生み出されていったように感じます。
その際、あえてカフェやバーなどを会場とすることで、過去の戦争のことを気軽に話せるような雰囲気づくりも意識的に行いました。

これは、「過去の戦争の事実を、当たり前の一般常識として広めたい」という気持ちの表れだったように思います。その結果、支援の話が全国に広がっていきました。その間に戦争体験者への取材も地道に継続し、300名分のビデオ・メッセージを集めることができました。それらを用いた上映会は、日本、フィリピンに留まらず、韓国、中国、タイなどでも実現しました。

chapter 6戦争を知らない世代へ‥

戦争を知らない世代へ‥

活動を始めた頃は、元日本兵の方が会員になって支えてくださったり、ビデオ上映会の会場で直接戦争体験をお話していただく機会もありました。
しかし、そういう方々が少しずつ鬼籍に入られました。
ある元日本兵の方は、こうおっしゃっていました。

「自分の命はあと数年で尽きるかもしれないけれど、映像の保存状態さえよければ、ビデオメッセージを通して100年、200年と自分の想いを伝え続けられる」

そう、ビデオメッセージは、遺言のような気持ちで私たちに託してくださった「宝物」なのです。戦争体験者の方々と同じような話は出来ないけれど、彼らの想いを代わりに伝え続けることは、私たちにも出来ます。

戦争体験者が想いを一番届けたいのは、戦争を知らない若い世代。そんな世代の方々に、今も伝え続けているのが私たちの活動です。

achievements 主な活動内容・実績

2000年2月
代表神、フィリピンで未だ戦争の傷が癒されない人々に出会う
2003年4月
代表神、新潟県小千谷市にて、自分が関わった残虐行為を嘆きながら亡くなった元日本兵の話を拝聴
2004年8月
ブリッジ・フォー・ピース発足(情報収集、証言者への呼びかけ開始)
2005年10月
ビデオメッセージを携えてフィリピンを再訪し、各地で上映会を開催。同時に、現地の声を収録
2005年11月
日本で初めてビデオメッセージ上映会を開催
2005年3月
元日本兵の方へ取材開始
2006年
上映会の開催及び、元日本兵の取材活動範囲を全国に拡大
2008年10月
第3回フィリピン・上映ワークショップ実施
2008年2月
ビデオメッセージを携えてフィリピンを再訪し、各地で上映会を開催
2008年5月
寺子屋BFP始動 / 教科書プロジェクト初展示会を開催
2009年10月
第5回フィリピン・上映ワークショップ実施
2009年11月
5周年感謝祭イベント「Meet me at the history textbook gallery~つながる歴史・いのち・わたし~」開催
2009年2月
第4回フィリピン・上映ワークショップ実施
2009年8月
5周年感謝祭イベント「つながるBFP夏のイベント~平和をつくる・みんなと出会う~」開催
2009年9月
5周年感謝祭イベント「知る・わかち合う・アジアと共に生きていく」開催
2010年11月
第6回フィリピン・上映ワークショップ実施
2010年1月
NPO法人格取得
2010年8月
取材チーム発足
2011年2月
第7回フィリピン・上映ワークショップ実施
2011年8月
初の中国(北京)訪問
2011年8月
第8回フィリピン・上映ワークショップ実施
2011年9月
初の信州ツアー実施
2012年2月
第9回フィリピン・上映ワークショップ実施
2012年9月
初の韓国(ソウル)訪問
2013年2月
第10回フィリピン・上映ワークショップ実施
2013年6月
初の沖縄ツアー実施
2013年7月
第2回韓国(ソウル)訪問
2014年2月
第11回フィリピン・上映ワークショップ実施
2014年7月
第3回韓国(ソウル)上映ワークショップ実施
2014年9月
BFP10周年 ~過去から未来へのBridgeをいま、アジアへ~開催
2015年2月
第11回フィリピン・上映ワークショップ実施
2015年5月
BFP本『ビデオ・メッセージでむすぶアジアと日本―私がやってきた戦争のつたえ方』出版
2016年2月
第12回BFPフィリピン・ツアー実施
2016年3月
第13回BFPフィリピン・ツアー実施
2017年2月
第14回BFPフィリピン・ツアー実施
2018年2月
第15回BFPフィリピン・ツアー実施
2018年7月
歴史NGOフォーラム主催の国際会議出席(フィリピン)
2019年2月
第16回BFPフィリピン・ツアー実施
2020年12月
オンラインー「戦後75年ー小学生向けワークショップ(真珠湾攻撃)」 連続開催
2020年2月
第17回BFPフィリピン・ツアー実施
2020年3月
コロナのパンデミックにより活動がオンラインに制限される
2020年7月
オンラインー「戦後75年ー小学生向けワークショップ」 連続開催
2021年5月
オンライン「日韓交流イベント」連続開催
2022年1月
取材テープ・データ化作業本格開始
2022年2月
オンラインーBFPフィリピン・ツアー実施
2023年7月
BFP「平和を創るファシリテーター」養成講座第1回開催 
2024年2月
第18回BFPフィリピン・ツアー実施(コロナ後初)
2024年7月
BFP「平和を創るファシリテーター」養成講座第2回開催
2025年2月
第19回BFPフィリピン・ツアー実施
メディア掲載